子どもの声

子どもからのメッセージ [笑いの変化]「純粋な笑い」と「不謹慎な笑い」

子どもの笑いは瀧粋です。
いわゆる作り笑いができず、本当におもしろいこと、うれしいことに出あわない限り笑顔を作れません。
「はい、笑って」と言われても、おかしくもないのに笑えないのです。
そこが大人と違うところです。

笑いの中には、人が困っているときや苦しんでいるときにそれを笑う、いわゆる不謹慎な笑いがあります。
でも子ども、特に幼児にはそんな笑いはない……はずでした。
ところが近年、子どもの笑いが随分と変わり、以前には見られなかった笑いが出てきました。

たとえば、交通ルールを学びに交通公園に行ったときのこと。
子どもたちに交通事故の怖さを伝えるため、等身大の人形が車に轢かれるところがあるのですが、以前の子どもなら、そこで驚いて泣く子どもまでいました。
でも今ではなんと、そこで笑う子どもが出てきたのです。

ある日、突風で子どもたちのカバン掛けがガッシャーンと倒れたとき、「ハハハ」と笑う子がいました。
少なくとも笑う場面ではないはずです。
またあるときは、園庭でこけた子どもを、ニヤッと笑ってわざわざ三輪車で轢きに行こうとする子どももいました。
もちろん厳しく叱りましたが、子どもたちが笑う場面、面白いと思う場面は、ここ数年で随分変わってきたように思います。

[笑いの変化]「純粋な笑い」と「不謹慎な笑い」この傾向は、近年のいわゆるお笑いブームに比例しているような気がしてなりません。

最近のテレビの笑いは、相手が「嫌がる・困る・苦しがる」ことで笑いを取ることが多く、ユーモアや純粋な面白さで笑わせることが少なくなっているように思います。

また、本来は笑うべきではないような「衝撃的映像」や「大事故の瞬間」でさえ、笑いのネタにする傾向があります。
昔はそういうフィルムのあとは司会者たちもシーンとして、「大変な事故でしたね」という扱いでしたが、今では拍手まで起こり「みなさん、どれがおもしろかったですか」です。

子どもは、本当はそういう映像を見ても、決して笑わないものです。
でも、子どもは大人が笑っているものは一緒に笑う傾向があり、それが「認められているもの」とみなす傾向があります。

それらを「大変なこと」ではなく、「笑うこと」と学習していった子どもたちは、やがて実際にそれらが目の前に起こったとき、笑いの対象にしてしまうようになるのでは?と、私は随分前から心配していました。

でも、先ほど紹介した子どもたちを見ていても、その心配が当たってきたように思えてなりません。
人形が車にはねられる、ガッシャーンと何かが倒れる、こけた人を三輪車で轢く、というのは、確かにいかにもお笑い的で、テレビでもやりそうなことです。

子どもが本来持っている「純粋な笑い」を減らし、まだ持たなくていい「不謹慎な笑い」を子どもの世界に増やす今の世の中の傾向に、非常に危機感を持っています。



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